館林城大手門

司馬さんは、幕末の世で、幕府を倒し、明治維新、近代化という日本の奇跡の歩みをもたらした青年たちを実に愛情をこめて、生き生きと描いてくれる。吉田松陰(寅次郎)もその一人。

「世に棲む日日」では、寅次郎が友人との東北旅行の約束をまもるため脱藩するくだりがある。脱藩は当時、主君に対する重大な不忠、お家断絶も覚悟しなくてはならない大罪。寅次郎の一途に友人との義を重んじる心はどこから生まれるのか?
「至誠にして動かざる者は未だ之れ有らざるなり」という言葉が彼の行動原理なのである。その至誠が弟子を動かし明治維新をもたらした。
そして、寅次郎は友人2人と東北へ。帰りは「日光に寄り、足利、館林をへて利根川の堤に出、堤上をあるくうちにたまたま小舟をみつけ、たまたまその船頭が江戸へゆくというので乗せてもらった。」と司馬さんは描く。
なんと私の住む館林にも来ていたのである。友人に会うためにである。

実は館林藩主の秋元志朝が周防徳山藩主毛利日向守広鎮の二男、つまり松陰と同じ毛利家の出であった。勤皇で知られた家である。

ところが、大手門まで来たが、門番に怪しまれたのか城内には通してもらえなかった。この大手門から大名小路が東に千貫門まで続き、城内に至る。今日では朝の散歩でも、図書館や文化会館に行くにも門番にいちいちとがめられることもなく城内に入れるのに、
なんとも窮屈な時代だったのである。

参考HP:「館林城の再建をめざす会

 

館林・三角公園・大手門跡

 

 

 

 

 

 

 

 

大手門跡(館林・三角公園)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です