ジョスカン・デ・プレ「千々の悲しみ」

日本史に織田信長が現れなかったら? 秀吉も家康もおそらく活躍できなかっただろうから歴史は全く別の流れになっていたに違いない。いや、鎌倉、室町時代に日本は他のアジア諸国と異なり、西洋と同じような社会発展の段階に進んでいたので、彼に代わる傑出した人物が現れて同じような歴史になっていたと主張する人もいるかもしれない。

いずれにしろ、日本の歴史が少し違っていたら、19世紀という恐ろしい帝国主義の時代になって、日本も白人国家の植民地になり、白人が全地球の有色人種を奴隷のように支配する恐ろしい世界になっていたのかもしれませんね。(私は1977年NHK大河ドラマ「花神」を見てその緊迫感を感じました。その41:00頃に吉田松陰と佐久間象山が登場します)

以下は「新史太閤記」(司馬遼太郎)の一節です。

信長はそのオルガンに寄りかかり、心持首をかしげ、すべての音を皮膚にまで吸わせたいという姿勢で聴き入っていた。藤吉郎のおどろいたのは、その横顔のうつくしさであった。藤吉郎は信長につかえて二十年、これほど美しい貌(かお)をみせた信長をみたことがなく、人としてこれほど美しい容貌もこの地上でみたことがない。その印象の鮮烈さはいまも十分に網膜の奥によみがえらせることができるし、時とともにいよいよあざやかな記憶になってゆくようでもあった。

信長や秀吉はどんな西洋音楽を聴いたのでしょうか?
天正遣欧少年使節団が帰国後、秀吉へ御前演奏したとされるのが
ジョスカン・デ・プレ(Josquin des Prez)の「千々の悲しみ」(Mille Regretz)です。

中世の扉をこじ開け、日本に近世をもたらした信長は、当時の日本人からは隔絶した全く新しい感性を具えていたのでしょうか?

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